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南総里見八犬伝ゆかりの地 倉吉

曲亭馬琴作「南総里見八犬伝」と「倉吉」の関わり

江戸時代後期を代表する戯作者・曲亭馬琴(1767〜1848)の長編「南総里見八犬伝」。
房州(千葉県)館山城主の里見氏と八犬士の壮大で緻密な物語が展開されます。

南総里見八犬伝のモデルとされるのは房州館山十代城主 里見忠義。

慶長19年(1614)、里見忠義が勢力争いに巻き込まれる形で大久保忠隣に連座し転封を命じられ、伯耆国(鳥取県)倉吉の大岳院の門前に居住します。
その後、忠義は神坂(倉吉市東町・住吉町・荒神町)に住居を置き、倉吉の北野神社、北条の山田八幡の社殿を修復するなどの事績を残しましたが、元和3年(1617)池田光政の鳥取入城とともに、倉吉郊外の下田中村に、さらに同5年(1619)堀村(倉吉市関金町堀)に移され、元和8年(1622)29歳で世を去り、近臣の八人も殉死を遂げました。

遺言により、忠義を大岳院に葬送し八臣の遺骨も埋められました。

現代でも位牌とともに大岳院に祀られており、また関金町堀には里見主従之廟(びょう)が残っています。

忠義の法名が「雲晴院殿前拾遺心叟賢涼大居士」となり、殉死した八臣の法名にもすべて「賢」の字を付 けたところから、「八賢士」と呼ばれ、このことが曲亭馬琴作「南総里見八犬伝」の「八犬士」に つながったのではないかといわれています。

まんが(PDF)里見忠義~悲運の君主と「八賢士」~

里見忠義(倉吉観光情報)

 

現代に蘇る八犬士 オリジナルYouTubeドラマツアー「倉吉八犬伝」

「倉吉八犬伝~時代を越えてお仕えします!!~」×倉吉

 

大岳院

大岳院は倉吉白壁土蔵群にある、慶長10年(1605年)に開創された曹洞宗の名刹。

境内には、「南総里見八犬伝」のモデルとなった安房国(千葉県)館山城最後の城主、里見安房守忠義と8人の家臣が祀られています。
倉吉には8年間在住し、その折りに寄進したと伝えられる「三彩稜花刻花文盤(さんさいりょうか こくかもんばん)」(鳥取県指定保護文化財)が今も秘蔵されています。

倉吉白壁土蔵群

大岳院には八匹の犬(石像)がいますので、探してみてくださいね。

 

里見忠義主従之廟(びょう)

廟(びょう)とは先人の霊を祀る建物のことで、

江戸時代初期、江戸幕府により安房国から国替えを命じられた里見忠義公の終焉の地に廟があります。

場所は関金温泉のある、関金町堀 里見忠義主従之廟 (Google Map)

 

 

倉吉せきがね里見まつり

9月(第1日曜)には大岳院(里見家墓所)にて忠義公、家老、八賢士の法要を行い、手作り甲冑による時代行列が国重伝建地区を練り歩きます。住職から八つの霊玉を授かった八賢士が出立の勝ち鬨をあげ、行く手を阻む怨霊玉梓から忠義公一行を護りながら、大岳院から倉吉せきがね里見まつり開場へ向かいます。

倉吉せきがね里見まつり公式サイト

里見時代行列

倉吉せきがね里見まつり(ステージ)

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