モデルコース COURCE

『八犬伝』ゆかりの地を巡る

倉吉は戦国時代の大名・里見氏の最後の当主・忠義が亡くなった地。曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』のモデルともなった悲運の武将・里見忠義ゆかりの地を巡る静かなる旅へ。

スタート START

スポット

SPOT 01

北条八幡宮

源氏の流れをくむ里見忠義が社殿を修復した際に奉納した元和2(1616)年の「里見四位侍従忠義」と記された棟札が残ります。源氏の守護神である八幡神をまつる社殿を修復することで、自身の武運長久を祈ったとみられます。

住  所
北栄町大字北尾613
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車15分

スポット

SPOT 02

勝宿祢神社

倉吉市を北流する天神川の左岸に位置する古社。倉吉に移封された忠義が神坂村から移された際の住居はこの神社付近だと伝わります。往時をしのばせるものは何も残っていませんが、隣接する民家に「里見井戸跡」があります。

住  所
倉吉市下田中町113
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車8分

スポット

SPOT 03

神坂村屋敷跡

安房国からわずかな家来を従えて倉吉にたどり着いた忠義が最初に屋敷を与えられたのが大岳院門前に位置するこの辺りと伝わります。この地で忠義主従は3年を過ごしました。

住  所
倉吉市東町441-6
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徒歩5分

スポット

SPOT 04

大岳院

里見忠義と八賢士が眠る寺院

忠義が寄進した「三彩稜花刻花文盤」が寺宝として伝わります。29歳の若さで悲運のうちに没した忠義は遺言によりこの寺に葬られ、後に殉死した8人の家臣と共に眠っています。家臣の戒名にはいずれも「賢」の文字が含まれ、「八賢士」が『南総里見八犬伝』の描く「八犬士」のモチーフになったとも言われます。

住  所
倉吉市東町422
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車25分

スポット

SPOT 05

山長神社

忠義が元和6(1620)年に社殿を修復したと伝わる神社。北谷地区の総氏神として今も信仰されています。

住  所
倉吉市森142
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車15分

スポット

SPOT 06

北野神社

衰退していた神社を忠義が元和2(1616)年に再建したと伝わっています。不遇な身でありながら信仰心だけは持ち続けていたのかもしれません。

住  所
倉吉市北野712
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スポット

SPOT 07

里見主従の廟(びょう)

山郷神社の西、忠義主従が最後に暮らした屋敷跡と推定される場所に建っており、忠義と8人の家臣を祀っています。廟の後ろには樹齢約400年の「里見屋敷のシイ」と呼ばれる大木があり、この木を切るとたたりがあると言い伝えられます。周辺には「安房守様」と呼ばれるほこらや五輪塔群があります。
毎年9月ごろには大岳院から白壁土蔵群などを練り歩く「里見時代行列」が、また関金地区では関金子供歌舞伎などが披露されるステージイベントを中心とした「せきがね里見まつり」が開催されています。

住  所
倉吉市関金町堀
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ゴール GOAL